(木下)私は木下式を世の方々に知っていただくために講演活動をしています。しかし木下式を実践する幼稚園・保育園には、将来、音楽の道に進まない子供も大勢います。そこで「なぜ木下式が必要か」を、人育ての面から訴えております。
木下式には幼児期に与えておかなければならない要素がたくさん含まれているので、そこを取り上げて、子供が喜ぶことだけを与えるのではなく、しつけを守る習慣こそ、持たせなければならない。そうしないと将来困ることがあるーーそんなお話をするために、長田先生のご本(*1)を引用させていただきたいと思って、お手紙を差し上げましたことがご縁で、今日の対談が実現しました。
本には子供を花に、家庭を土壌にたとえて、家庭のあり方によって子供がダメになると書かれていました。
実は父の趣味は盆栽ですが、それはそれは手間のかかるものです。父は「盆栽も子供も同じだ。愛情をかけて、目をかけて、手をかけてやらなくてはならない」と申しております。
このご本は九年前にお書きになった本ですが、子供を取り巻く環境は、その後もっと悪くなってしまいました。
私はまだ若輩ですが、日本の子育ての現状に危機感を強く感じております。
先生の新しいご本(*2)の中では、幼稚園や保育園で講演活動をされていると書かれていますが、これは幼児教育に携わる私たちにはとてもありがたいことです。それで具体的にどのようなお話をなさっておられるのでしょうか。

●問題行動の根は幼児期に始まっている

(長田)大きく分けて二つあります。一つは向精神薬の怖さ。もう一つは子供の非行やひきこもりなどの問題を、どう予防するかですね。
(木下)ひきこもりになる子は、幼児期からその兆候があるといわれますね。長田先生は問題を持つ若者を更正させておられて、私はとても尊敬しています。私のもとにも、中高校生が悩みを抱えてやってきますが、この子たちは、幼い頃から一生懸命、音感教育をした我が子のような存在です。でも先生は、大きくなった子を手がけておられる。教育は年齢があがるほど、難しいと分かっているだけに頭が下がります。お子さん以上に、親御さんの信頼が必要だと思いますが……。
(長田)おっしゃる通りです。まず両親がそろって相談に来ますね。そのとき成長記録を出してもらいます。そうすると大抵はすでに幼稚園時代から問題があることが読み取れます。
(木下)たとえばどんな?
(長田)たとえば行き渋り、あるいはお友達と遊ばずに一人遊びを好んだり、泣き出したら止まないとか、いろんな兆候が見られます。
それで長田塾という親の意識改革をする機関があって、月一回開講するのでそこへ出てもらいます。それと毎日ファクスを入れてもらいます。両親とも四百字から六百字以内で子育てについて、今までにあったことを書いて送ってもらうのです。それを私が読んでいるとどういう子育てをされた子かが分かってきます。それがこれからメンタルケアする子のための、私自身の予備知識になります。
それと、子供の問題を抱えている親ってパニクっているんですが、書くことで頭の中も整理できてきて、私のケアを受けていないこの段階で親子関係が改善されて、実際に子供が更生しているケースもあるんです。
でも直らない時には、それはそれで親の腹が決まってきます。いよいよメンタルケア開始というところまでくるのが二カ月とか三カ月。長いので二年もかかったケースもありますよ。
ファクスをやり取りしているうちに、親のほうがここは長田百合子に頼むしかないなと、百パーセント私を信頼してくれるようになる。それを私は待っているわけです。
そしていよいよメンタルケアに入るのですが、それまで接して来たお父さんやお母さんの気持ちは分かっています。こんなに子供への愛がある親の子供なら、きっと根はいい子に違いない。そこに付いた問題のアカを取り除いてやれば、この子は正常に戻れるんだという気持ちで子供に接するんです。親の人柄がよくて熱意があれば、子供は絶対に直ります。

●甘やかしてダメにする惨い子育て法

(長田)親のファクスの段階で、毎日のリポートが二日に一度、三日に一度になり、やがて止まってしまうケースもあります。そういうケースは救い難い。毎日書き続けられる親の熱意こそ最大の治療薬なんです。
(木下)それは大切なことですね。よそ様にお任せというような安易さがいけないんですね。
(長田)こっちは他人の苦しみに付き合うのですから、親が不真面目ではいやですよ。だから、ファクス通信の段階でふるいにかけるんですよ。ふるいに残った熱意と人格のある親の子なら、どんな問題を抱えていようが直してあげますよ。
(木下)それは木下式にも通じますね。いい教育だから世のすべての子に与えたいと思っても、それは不可能なんですよね。だからこそ私たちも努力を怠れません。
(長田)そう、親の気持ちが私と共鳴しないようだとできるもんじゃありません。
(木下)そうでしょうね。家庭で「いいのよ、あなたの好きなようにしなさい」と寛容だけで育った子は、後になってさまざまな問題行動を起こしてしまいますね。「駄目なことは駄目なんだ」と厳しくとも絶対的な基準が与えられるうちの子供たちは、きっと幸せなんだと思います。木下式もひきこもり防止になってるのではないかと……。
(長田)徳川家康は幼少時に今川義元の人質になりますが、義元は家康に付けた教育役の家来に、惨い教育をしろと命じているんです。何でもやりたいようにやらせろ。甘やかして家康をダメ男にしてしまえ。そうすれば将来、今川家に刃向かうガッツが育つこともなかろうというのです。
今は、手をかけて育てている親はたくさんいるんですが、手をかけまくって子供は何もしなくていい。おだてまくってほめ殺して骨抜きにする。悪いことをしても怒らない。これほど惨い育て方はないでしょ?

●叱り上手とほめ上手

(木下)楽院の子供たちは、卒業しても、外で嫌なことがあるとフラッと来て合唱をしたり、ピアノを弾いたり、小さな子の世話をして癒されるようです。
でも、子供たちがそうなるまでには、実に十年以上の歳月がかかっています。卒業生の誰一人、最初からお稽古事を簡単に受け入れた子はいません。
最初の頃は、泣いてお稽古を嫌がったり、私たちを殴ってお母さんの元に逃げ帰ろうとして木下先生のいる職員室に連れていかれたりを繰り返しながら、上手にできたらほめ、ちゃんとやらなければ叱られ……、この繰り返しの中で少しずつ、苦手なことを克服してきました。そうして十年がたったから、今、楽院が自分の心の休まる場所になったのだろうと思います。
幼児期のお稽古事は、子供が喜んで通ってくれればいいけれど、子供が嫌がるとどうすることもできない親御さんが増えています。特に学校ではないので、「好きじゃないなら辞めればいい」と安易に考えるようです。そういうお母様は、将来、子供が「友達がいじめるから学校へ行きたくない」と言った時に、絶対に無理に行かせることはできなくなると思う。それがいつしか、学校ではなくて、お勤めになっても「上司が叱るから行きたくない」と言ったりしかねない。冗談のようですが、最近は本当に、「うちの子を叱らないで」と、会社へ電話する親までいると言います。もう世も末だと思います。
私は、お稽古事を嫌がる子に、「頑張ってきなさい」と導くことができない親御さんに、「大人になってニートやひきこもりになっても、一生、生活の面倒を見る経済力がありますか。今、子供のわがままを受け入れるのはそういう意味ですよ」と申しています。皆さん、びっくりした顔をして私をご覧になる。
幼稚園の行き渋りも同じだと思いますが、たいていの親御さんは、幼児のわがままなら許せるけれど、それが一生続くなどと想像していないのだと思います。でも将来、子供に自立してほしいと思うなら、その第一歩は幼児期に始まっていると思います。
(長田)実際に自立できない子が増えていますよ。かつて叱らない教育、叱らない子育てが提唱されましたが、冗談みたいな話ですね。
それに子育ての中に学問??医学、脳科学、心理学、法律??が入ってきて以来、本格的に駄目になった。
一つひとつの学問は素晴らしいものですよ。でもそれが子育ての場に入って来ると、たとえば、「万引きをした子を決して叱ってはいけない。そういう行動をするのはちゃんとした心理学的な裏付けがあるのだから」と、学者が平気で発言してしまうので駄目になる。つまり初めから理詰めだけで対応しようとする。だから若い親は勘違いしてしまう。理屈が理解できるようになる前に、人間としての規範となるところを頭ではなく、体で覚えさせる過程がその前に要るんですよ。
教育って、叱られた人からほめてもらおうと努力するところから始まる。叱られて頑張って「ほら、やればできるだろう」とほめられた時に感動がある。でも叱られることがなくなってほめられるだけでは、子供は伸びませんよ。
(木下)そうですね。ほめられても喜びも感動もない。実際に学校でも先生は叱ることもないようですから。
(長田)だから、今の子供たちは可哀想です。本当に子供のことに深くかかわって叱ってくれる人がいない。
(木下)そういう点では楽院の子供たちは幸せだと思います。木下先生はそれこそ真剣になって叱るし、また本当にほめ上手ですから。
(長田)真剣に叱れるということは、日頃から本当に子供の将来を見据えながら愛しているからですよ。本当に親心を持って真剣に接してやれば、子供はバカじゃないですから直しますよ。
(木下)今は、子供が真剣に受け止められないような叱り方しかしない。お母さんは駄目と言ってても、お父さんはいいって言うな、って子供に親の心を見透かされてしまうような……。
(長田)それならまだいいほうで迷いながら怒る人。こんなに怒っていいかしらとか、あんなに怒ってしまったけど、よかったのかしらとか。それで怒った後でご飯を食べさせるんだな。悪いことをしたんだからご飯なんて食べさせなければいい。そのかわりそんなバカな子を育てたのはお母さんなんだから、同罪で自分もご飯は食べない。そんな親の真剣な姿勢を見せられれば子供は敏感に反応し反省するんですよ。叱った後は、子供が反省して謝るまでは口もきかなくていいんです。叱った後で謝るくらいなら最初から叱るなって言いたい。
それに次は法律による過保護。鑑別所に入ると弁護士を付けてくれる。法律に触れないようにして非行を更生させることはできませんよ。ちょっと体に触っただけで暴力! って騒ぎだす。こんな子をどうやって直すんですか。だから私が非行を扱う場合、法律との闘いになるんです。
コンビニで万引きする。そうすると店主がまず怒らない。親を呼んで言うには「お宅のお子さんが万引きやったんだけど、あんまり怒らないでね。うちとしては代金をいただければいいんですから」って、後々の嫌がらせを恐れて穏便に済まそうとする。
(木下)親のほうもなるべく我が子の恥を隠す傾向にありますしね。
(長田)警察でも言ってますよ。今の制度では再発は防げないって。だって警察も怒らない。万引き少年を警察に突き出すとしましょう。そうすると事情調書を書いた後、「何かつらいことでもあったの?」。そうすれば子供は自分に都合のいいこと言います、親に叱られたとかね。すると親に引き渡す時に「お子さんとけんかでもなさいましたか?」「はい」「それがお子さんにはとても苦しかったみたいですよ。叱らないであげてください」。それで家へ連れ帰って説教でもしようものなら「また盗るぞ!」って凄まれる。
このように、学校をはじめいろんな業界で子供に対して体がよくて、事なかれで、いい加減で、適当で、優しくて、それで深いかかわりを避けて逃げるような人ばかりで、これでは子供の問題は解決できませんよ。

●昔の育て方を変えてはいけない

(長田)昔の子育てはそれこそ世代を重ねながら実際にやってきた実績の上にあるのですから、そう簡単に捨て去れるものではありません。そこにいきなり実績のない学問が入って来てめちゃめちゃにしてしまった。
たとえば、一から十までの間に嫌いな数字が二つありますよね。なんですか?
(木下)ええ、四と九。
(長田)そうでしょ。“死”と“苦”に通じるから。これを言霊っていうんですよ。古事記の時代からありますよね。それは今でも同じ。受験生を抱える家庭で、スキーから帰って来て「いやー、今日は滑った、滑った」って言えばそれこそ大変でしょ? 
日本人の民族性など昔から何も変わっていない。だから子育ても変えちゃいけないんです。昔の知恵で、子が育つ条件をちゃんと知っていた。一つは苦しいことを一つひとつ乗り越えて大人に近づいていくこと。
二つめは人と人とのかかわりの中で成長すること。三つめ、子供の身を守るのは子供自身。
まだありますよ。
怖くて尊敬できる人がいること。
こうした子供が育つ条件は昔も今もまったく変わらない。だから親がやってくれたままを踏襲すればいい。一人前の親になれたのは自分の親の育て方が正しかったから。だったら親から受けた通りに子育てしたらいいのですよ。
基本的に人間が何も変わっていないのに、方法だけ変えようとしても成功するはずがない。「赤ちゃんに授乳するときはテレビを消して赤ちゃんの目を見ながら話しかけてあげましょう。すると母乳の中にセロトニンという物質が出て子供のためになる」とか発言する。
でも、主婦は赤ちゃんに授乳している時ぐらいしかゆっくりテレビが見られないわけですよ。それもやっちゃいけないと言われたんではストレスがたまるばかりで、おかしくなってしまう。スキンシップなんかテレビ見ながらでもできるんですよ。
親がストレスためればセロトニンだって出るわけはないでしょ。それにね、授乳している時に携帯が鳴ってそれに出るのは虐待の始まりだなんてことまで言う。
私は二十三の時会社を起こしたんですが、その年に出産してるんです。で、電話しながらおっぱいを赤ちゃんに飲ませて我が子の口をふさいでましたよ(笑)。電話しながらお尻をトントンやってれば寝付いてしまいますよ。そこで静かに横にしてあげれば爆睡するでしょ。そうしたらゆっくり電話も続けられる。それでも親から見てもいい子に育ちましたよ。
肝心なことは、親がストレスをためないことですよ。
(木下)親のストレスといえば、楽院に通う親御さんは勉強以上に、行儀がよくなる、親の言うことを聞くようになるという期待が大きいようです。でも実は、親の言うことを聞くように指導しているのではなく、ルールを守ること、つまり規範を教えているに過ぎないのです。
木下式を学んで私たちの前できちんとできるようになっても、お母さんはお母さんでちゃんとしつけないといけないんです。教育は薬に代わるものではないですから……。

●薬物は子供の大敵です!

(長田)薬といえば忘れてはいけない薬物。ADD(注意欠陥障害) とかADHD(注意欠陥多動性障害)とかに薬物を投与する。するとほんとに静かになる。それで薬が切れるとまた騒ぎだす。そこでまた飲ませるとまたプツンと静かになってしまう。
すごーく薬物って恐ろしいですよ。睡眠薬や精神安定剤ならすべて向精神薬という薬物だということを、多くの人が知らないでいる。これらは精神の快感か肉体の快感かの違いだけで、覚せい剤やマリファナと一緒です。でももっと怖いのは、アヘンと同じぐらい身体依存(編注:摂取をやめると、離脱症状と呼ばれる身体の症状が起こる状態のこと)が強いこと。下手すると死んでしまう。ですから私は向精神薬を飲んでる子は引き受けない。
薬物を与えながらメンタルケアを進めるのならいい。それが「どうですか? お薬効いていますか」「いや、あまり……」「じゃお薬、変えておきましょうねー」でしょ。
この国はみんなで裸の王様やってるんです。おかしいなーと思うことがあっても誰もそれを言わない。大人がそうだから子供がまともに育つわけがない。こないだNHKのニュースで新型鬱病という言葉が使われていました。仕事をすると鬱になる。遊んでいれば治る。これが新型鬱病だって言うんです。だったら日本人のほとんどが鬱病ですよ(笑)。
(木下)本当なんですか。ただの怠け癖ではなくて?

●自然に備わった力を最大限に伸ばす

(木下)先生のところでは、生徒さんの更正のために、バンドの練習を取り入れておられますが、どんな効果がありますか?
(長田)音楽には心の癒し効果があると言われていますよね。確かにメンタルケアの面でいい効果があります。
(木下)音楽活動は、ぼんやりできないし、周りにも気を配らなければならない。自分が音を出すタイミングを感じることも大事だし、自己表現もしなければならないなど、たくさんの要素がありますでしょ?
(長田)そうそう。一人がドジを踏むと演奏が駄目になってしまいますからね。
(木下)今日はせっかく来ていただいたので、木下先生が手塩にかけている子供たちの姿を、じかに見ていただいたのですが、いかがでしたか。
(長田)すごくよかったですよ。絶対音感は素晴らしかったですね。ピアノで和音を弾いたのを聴いてパッパッと書いてしまうのなんて天才ですね。
それに、口を大きく開けてきれいな発音で、きれいな声で歌う。それが自分の耳にフィードバックして聞こえる。あれは絶対にいいですよね。自然に備わっている力を精一杯引き出す訓練、ああいう教育は全部の幼稚園でやればすごい子供がどんどん増えますよ。
それと途中でダラけた子がいたね。そこで「ハイ、正座!」ってやってましたね。それでパパッと正座してた。その動きも速かった。
(木下)昔はもっと速かったんですよ。
(長田)でも速いですよ。ふつうならダラダラですから。
(木下)木下式をやっている幼稚園で、多動症の子がいても音感をやっている間は多動とは分からなくなる。自閉症の子がいますよと言ってもふつうの人には分からない。それは「やる時は行儀よくしますよ。やる時はみんなと一緒にやりますよ」、というルールが守れるようにしつけているから、落ち着いて行動できるんです。

●親は誇りを持って子育てに臨みましょう

(長田)子供は本来多動なんですよ。それが当たり前。小さい時期にそれをしつければ、落ち着きも出てくるし定着もしてくる。だから薬物なんか要らない。それを直してあげるのが子育て力、教育力なんです。
親はなんとしても子供を真剣にしつけなきゃいけない。子供の問題から逃げ出してはいけない。そんな親の子供がよく育つわけがない。カゼ引いたって薬なんか与えたくないのが本来の親ですよ。ただ国の方針が「不登校→心療内科」になっちゃっているから、なおさら親は問題の予防に努めなければ。イギリスに「揺りかごを揺する手が世界を支配する」っていう言葉があります。親の育て方次第で国が変わるっていうことですから、子供は将来のこの国を担っていく宝ですよ。そういう子を育てている親は、もっと誇りと責任をもって堂々と子育てと向かい合ってもらわなければ。子供は親の宝でありながら国の宝でもある。天からの預かりものと思って子育てをしてもらわなければ。
(木下)先生にも、もっともっとがんばっていただいて、一人でも多くまともな子を増やしていただきたいなと……。
(長田)絶対あきらめません。お互いにがんばりましょう。
(木下)私たちも一人でも多くの子をまともに育てなければいけない。そのために木下式の教育姿勢をもっと世の中の人に知っていただく努力をしなければと思っております。今日はありがとうございました。

(*1):
「親がかわれば、子どももかわるーイジメ・不登校・引きこもりの現場から」講談社 2010
(*2):
子どもを壊す親たちー不登校・引きこもりは、病気なんかじゃない!」WAC BUNKO 2010
*ADD:注意欠陥障害。 ADHD:注意欠陥多動性障害




平成23年10月16日 東京・新宿区「木曽路」にて
機関誌「おんかん」第99号より転載