作曲家・藤倉 大さんママに聞く

旺盛なチャレンジ精神はどのように育んだの?
千里丘学園幼稚園で木下式を学び東京合同音楽祭にも出場。13歳で「ぼくは作曲家になる」と宣言。15歳で英国留学して、弱冠20歳の最年少でセロッキー国際作曲コンクールに優勝。以後数々の賞を得て、現代音楽の作曲家としてロンドンを拠点に国際舞台で活躍する藤倉大さん(33歳)昨年は国内の小高賞と芥川作曲賞をダブル受賞しています。
あえて多難な道を選び、それを自らの手で切り開いてきた藤倉さんを育てたお母さんに、その子育ての様子を、木下麻奈先生がうかがいました。


(木下)イギリスのクラシック界で知らない方はない、新進気鋭の藤倉大さんを育てられたお母様が、幼児期にどのような方針や信念を持って子育てをされたか、また、ご両親がどのような存在であったのかなどを詳しくうかがえたらと思っております。
お子さんが生まれた時は、どんな希望を持って子育てをされようと思っておられましたか。
(藤倉)私は幼稚園の教諭として働いておりましたが、自分の子供が生まれたら、自分で育てたいと思っていました。最近は、働くママも多いですけれど、一日中、自分の子供をよそ様に育ててもらって、朝と夜だけ時間を過ごすのは・・・と思っておりました。ちょうど、主人が独立する時期でしたので・・・。
(木下)ご主人様はどのようなお仕事をされているのでしょうか?
(藤倉)医学現場の教育で日本全国まわっていて留守が多く、本当に子供と二人・・・息がつまるほど、二人だけの生活でした。
(木下)お子様は、世の中の流れと違う方向で、皆さんが受験という時には受験でない方向に向いていたかったとうかがいましたが・・・?
(藤倉)芯の強い、自立心のある、自分のことは自分で判断できる。知識と教養のある子供に、あくまでも希望ですが、そういう風になって欲しいとは思っていました。勉強はできるに越したことはないけれど、受験塾で技術だけを学ぶ必要はないと思い塾には行かせませんでした。当時は、受験がたいへん盛んな時期であったのですけれど・・・。
(木下)幼稚園に千里丘学園を選ばれた理由はどういうことでしたか?
(藤倉)ここしかないと思っていました。教育熱心であったこともあると思いますが、他の候補は全然考えませんでした。
(木下)お父様は医療関係のお仕事だとうかがいましたが、お父様には、お子さんに対して職業的な希望はありませんでしたか?
(藤倉)それはもう全くありませんでした。自分は自分、子供は子供。自分の会社なので、「跡継ぎがいないのは勿体ないね」という人もありましたが、夫自身も音楽が好きで専門は声楽でしたが、苦学生だったので、学生の頃、ピアノを弾いて学費を稼いだりしておりました。とにかく、仕事から帰ったら手を洗ってピアノを弾く。ピアノで(子供と)遊ぶという感じでした。
(木下)お母様もピアノをされていたのですよね?
(藤倉)私もしてはいましたが、時代も時代でしたし、井の中の蛙で、大阪の夏期講習に来て、レベルが違うことにきづいて挫折しました。
自分の子供にも音楽を楽しめる子にはなって欲しいと思っていましたが、子供が自分で「ピアノが習いたい」というまで待とうねと夫と約束していました。何しろ、皆が皆ピアノを習わせる時代だったので、「どこの家もとりあえず、ピアノ」だったので、それだけはやめようと思っていました。家にはピアノがありましたし、私たちも弾いていましたが、おけいこについては、自分から言うまでさせないようにしようねと話していました。
 でも、劇団には3歳から行かせていました。これは、親の意思でいかせませしたが、ピアノだけは、本人がいうまで待ちました。5歳からピアノや聴音から始めて2年生になって作曲、4年生から音楽史と進み、中 学1年の秋に先生を替えてから作曲の虜となったようです。
(木下)幼稚園ではどうでしたか?
(藤倉)とても楽しんでいましたね。先生たちや働いている方にも何でもよく話して恥ずかしい思いもしました。本当にいろいろなおしゃべりをして・・・。
(木下)幼稚園時代に東京合同音楽祭にも出場されていますよね。その時のことで何かご記憶はありますか。
(藤倉)この間、木下先生がお子さんを指導している場を拝見して、本当に感激しました。あぁ、うちの子供たちの時もこんなだったのだろうな・・・と。
うちの子は、聴音に出していただいたのですが、たくさんの子供たちの中から、木下先生が「君は独唱、君は聴音」と選んでくださったと聴いて、今、こうなって見れば、「木下先生はすごいな。よく見分けてくださったなぁ」と本当に驚きでいっぱいです。あの時の会場は、新宿文化センターだったのですが、舞台上の子供を見て、本当にドキドキして祈るような気持ちでした。「間違わないでね」と・・・。音楽祭を終わってからも、その時のテープをよく聴きました。

◆”生きる力”を精一杯育ててあげたい

(木下)他には?どんなことを習わせられましたか?
(藤倉)スイミングに行ってみたり・・・。いろいろですね。
(木下)まんべんなくいろいろなことをされたのですね。
(藤倉)一人で生きていくには、体力も気力も大事ですから、たくましく生きられるように育てたいと思っていました。
(木下)それは、本当に教育のあるべき基本的なことですね。今は、我が子を大事に思うあまり、内包の愛で包み込み、子供が一人立ちできない状態にされてしまうお子さんがたいへん多いと感じますが、こんな子育てをされたなら、15歳でイギリスに「一人で行きたい」と言われることにもたいへん納得がいきますね。
(藤倉)行くと決めたのは13歳の時でした。中学1年の時には、もう「行きたい」と言っていました。自分を追い込んで、そのためにどうしたらよいのだろうと、夫にも内緒で私と二人だけで準備をしました。中1の夏休みには、単身で、イギリスに夏休みの語学留学に出かけました。少しづつ慣らして、いざという時に、主人が反対しないだけの準備をしました。
(木下)語学留学にももちろん、一人で行かれたのですね?13歳なのに、すごいですね。留学のためのグループなどに所属せず、お一人でいかれたのですか?本当に自立心の強いお子さんだったのですね。
(藤倉)小さい頃から、そういう風に仕向けたということもありますが、本人もそういう風に育っていきましたね。
(木下)「仕向ける」って言うと簡単そうに聞こえますが、実際は、それを徹底することは、とても難しいことだと感じますが、どのようにされたのでしょうか。
(藤倉)そうですね。生まれてすぐは、目の届くところに寝かしていましたが、ヨチヨチし出たら、一番は離れた部屋のベッドに寝かしていました。でも、すぐに私のベッドにあがってくるのですが、また、おろして自分のベッドに戻して、子供もまた、私のベッドのところまで戻ってきて、私は、またそれを自分のベッドに戻して・・・。子供も必死ですが、「産まれたばかりの子供の意思に任せてはいない」と私も必死に信念を貫きました。もちろん、寝る前に絵本を読んだり、子守唄を歌ったりはしましたが、時間が来ればそこでおしまい。さぁ、自分のベッドで寝なさい、と。
(木下)基本的なしつけが本当に、きちんと行なわれていますよね。「子供のため」と思っても、なかなかできないことだと思います。私自身、自分がそこまで厳しく徹底できるか自信がありません。
(藤倉)でも、朝起きたら、とことこ起きて私のベッドにあがってきましたね。それは、許して入れていました。
(木下)メリハリがついた教育ですね。子供は厳しく拒絶されるのではなく、愛されているが故に、世の中にはルールがあることを大好きなお母様から教えられている。納得のいく子育てであると感じます。
(藤倉)言葉使いもはっきりさせるとか、いろいろと厳しかったと思います。その分、夫は、めちゃくちゃ優しかったですね。私が「こんなに厳しくていいのかしら」というと、夫は、「そういうお母さんがいても、いいよ、ぼくがフォローするから」
(木下)きちんと役割分担がされていたんですね。お父様は全く叱ることはなかったのでしょうか?
(藤倉)なかったですね。でも、父親が「おはよう」というと、自分も「おはよう」って言いますよね。すると、「お父さんは大のお友達ではないから、「おはよう」ではなくて「おはようございます」っていうんだよ。お友達にはおはようでいいよ」とか、「お母さんの言うことを聴くんだよ」と言って出かけたりはしていました。
(木下)お父様は、優しいとはおっしゃっても、無条件で全てを受け入れていたわけではないのですね。
(藤倉)小学校2年生くらいになると、劇団と音楽教室に週一度通っていたのですが、1年生の終わりごろから、「一人で電車に乗って通いなさい」と地下鉄の乗り換えをしながら、梅田というところまで通わせていました。まだ子供で小さいので、目線は、大人の腰の辺りしかなくて、一人で行かせるには勇気がいったんですけれど、困ったことがあったら、「人に聞きなさい」と教えました。もちろん、1年間は一緒に練習したのですよ。お母さんの3メーター先を行きなさい。後をついていくから」と練習をさせました。
(木下)私の母も甥に同じようにして、合気道や水泳に地下鉄に乗って一人で通わせることをしていました。これは、お母さんが子供に独立を仕向ける昔ながらの手法かもしれませんね。きっと、「私なら、そんな可哀相なことできない、可哀相」とおっしゃる親御さんもいるかもしれませんが、将来的なことを考えると、親がいないと生きられないように育てられるより、親がいなくても、生きられるように育ててくれるほうがどれほど有難いか分からないと感じます。家族以外の人と、口を聞けるようにしておいてくださるのも有難いことですね。
(藤倉)もちろん、失敗したこともたくさんあったと思います。一度、出口を間違えて、外に出てしまったら、ふだんと違う行き方で分からない。ホームの駅員さんにお願いして、「ぼく、出口を間違えて、回数券も出してしまったけれど、もとの場所に戻らないと行き方が分からないから、もう一度、元の場所に戻らせてください」といってやり直したり・・・。帰ってくるなり、「今日は本当にたいへんだったんだよ」「よく考えたわね」「泣きわめていてもどうにもならないから・・・」。失敗もたくさんしたようですね
(木下)失敗した時に、自分で解決できるための答えを見つけたり、失敗を回避することを教えられる教育はなかなかできませんよね。
(藤倉)なかなか、かえってこない日もあるんですよ。長いことじっとおもちゃを見つめていて。家のルールでおもちゃは買ってやらないので、自分が欲しいものは作るしかないから、欲しいものがあると、観察して。家には廃材を集める箱があって、豆腐の箱とかヤクルトの空き瓶などがいっぱい箱に入れてあって、それを使って買ってくれないと分かっているから、欲しいものがあったら、自分で作るしかないんですよね。
(木下)その頃から、創作することに貪欲なまでの意欲があったのですね。
(藤倉)大きくなってからは、ピアノの中がどうなっているか知りたい。調律の方が来るとおじちゃん、僕を作っている浜松の作っているところを見てみたいとずっと言っていました。ある時、楽器屋さんで、グランドピアノの断面が展示されていたのがとても衝撃的で、糸がおちて音が出るとか、そういうのを見て、同じものを作っていました。もちろん、稚拙なものなのですが・・・。
(木下)探究心にあふれたお子さんなんですね
(藤倉)家に決まりごとが多くて、買わないルールだから、作るしかなかったんですけれどね。
(木下)ご家庭のルールはしつけ面で厳しかったのですね。
(藤倉)そうですね。挨拶、お礼をきちんと言う。具合が悪くても、年長や1年生の頃から、自分で近所の医院に行かせて、どこがどういう風に具合が悪いとか、きちんと言いなさいって一人で行かせていましたね。
「好き嫌いを言わない」というのもありました。何でも食べる。もちろん、子供だから、口に合わないものもあるんですよね。でも、世の中に、こんな食べ物もあることを知るために、一つでいいから食べてって。大きくなったら、「1口じゃなくて、2口にして・・・」。「え?」って言いながら、無理に食べたりしてました。
 お友達の家に言って、おやつを呼ばれたりすると、ご飯の時に「今日は食欲がないなぁ」といいながら食べるのです。「ご飯は残さない」。病気でない限りは残さない。という約束もありました。朝ごはんも食べる。15年食べなかったことがないです。
(木下)一人立ちするために、本当にすごく手をかけていらっしゃるお母様の労力が一番、たいへんであったろうと感じます。結果論だけを見ると、大さんは、最初から特別な独立心があったように思われてしまいそうですが、独り立ちする以前にすごく手をかけて育ててらっしゃるのですよね。
(藤倉)年末年始は罪滅ぼしに、私たちと共に海外旅行に連れていってくれたのですが、5歳にならないと、飛行機の時間にも耐えられないし、6歳になったら、音楽会に行きたかったのです。子供が6歳になったら、いろいろな音楽会にたくさん連れて行きたかったので、それまでに、静かにすることを覚えさせなければならないと思っていたので、
 2〜3歳の頃から、私のお勉強会に連れていって、ミニカーや絵の道具を持たせて、「お母さんも勉強だから、あなたも勉強よ」って・・・。この時間はじっとしなければいけないと覚えさせていかないと。これを覚えさせないと、音楽会に連れていけないと思って。お菓子を与えて静かにさせる方もいましたが、私は持たせませんでした。
(木下)いきなり静かにはできないので、静かにさせるために計画的に仕向けられたのですね。
(藤倉)親から離れる練習もしなければいけないので、私が習い事に行くのですが、保育室のあるところには、必ず連れていって、この時間は私から離れなければいけない。初めは心細い顔をするんですけど「必ず迎えに来るからね、じゃぁね」って。離れる練習のために、小さい時に「ごみを出しに行くからお部屋で待っていてね」とか順番にね。そのうち、かぎっ子の練習もさせました。「お母さん、おけいこに行く日だから幼稚園から帰ってきても、家にいないから鍵はここにあるから」とか。
(木下)段階的に独立する練習がさせてあることがすごいですね。段階的に練習しないと子どもって何もできないですものね。
(藤倉)はじめからいきなりそんなことをさせたら不安で可哀相じゃないですか。
私が合唱団の合宿がある時に、あえて泊り込みの合宿に参加したんです。子供一人置いて。
一泊2日の合宿ですが、晩御飯はお弁当作って。留守の時はあなたが家の代表なんだからしっかり守って、電話が掛かってきたら用件を聴いてメモしてね。鍵してお風呂自分で沸かして。自分の責任よ。って。
 私の合唱団が終わるのが9時なので、9時には寝ないといけないからかわりにご飯食べてお風呂に入って寝ておいてよ」。って。すると、「ぼく、お母さんがいない時は、ものすごくお行儀悪くしてご飯食べるの」って言うんですよ。玄関開けた途端にお風呂の上がったばかりのにおいがするんです。でも、とりあえず9時には寝ていないと私に怒られると思うので、濡れたままの髪でとりあえず布団にはいっているんです。「食べたお弁当箱は洗っておいてあるんですよ。水などが、その辺にとびちってましたけど、洗ってあることが大事なんです。段階ですから。最初から完璧を求めるのはなくて。
 だんだん大きくなってきて、私が仕事をしていなかったので、「お母さん僕は自分のことは自分でするから仕事していいよ。旅行に行っても僕に頼っていいよ。東北、行ってもどこ行っても分からなかったら僕に言って。僕が聞いてくるからって。よくやるようになりましたね。
 私が仕事に行っていたら雨が降ってきたことがあって、帰ってみたら、洗濯物がそのまま、干したままになっているんです。「どうして家にいるのに気がつかないの? 家を預かっている家にいる人の責任よ」と教えました。その次からしぶしぶですが、「僕、入れておいたよ」ってやるようになりましたね。
(木下)一般の方には、厳しいと感じられる子育てかもしれませんが、私には温かいなと感じます。洗い物なども、「完璧にやってもらえないなら、やってくれない方が助かる。子供にお手伝いをすると面倒が増える。自分の勉強だけやってくれれば」とおっしゃるお母様もいらっしゃるけれど、勉強以外の面でも「自分でやる習慣を身につけさせてもらうこと」がどれだけ、将来、子供のためになるか・・・。きっと、お母様は、もう一回洗い直しをされるのでしょうけれど、子供は責任を果たしたことで、自分にプライドを持つことができる。温かみのあるお話を聞かせていただいたと感じます。
(木下)以前、うかがった話で印象に残ったことがあるのですが、どんなにお友達が遊びに来ても、時間が来ると、「ピアノの練習があるから帰って」と言ってお友達に伝えられたというのが、とても印象的なのです。子供というものは楽しいことがあると、つい周りに流されて、もう少し遊んでしまおうとか思ってしまうものですが、実は、お母様が影で『帰ってもらいなさい』と言われたわけではなく、ご自分の意志で?
(藤倉)そうですね。時間がなくなって自分が困るから帰していたんでしょうね。宿題もあるし、ピアノの練習もしないと9時までに寝られない。時間がないから、帰ってきてすぐ遊ばないと時間もなくなりますから・・・。
(木下)計画的に物事を行なえるようになっているのは、お母様の教育の賜物ですね。
(藤倉)子供の頃、友達がみんなで「大ちゃん、姫路城いこうよ」とか、休みの日に誘いにくるんですよ。どこか遠くに行くのにあてになるから、頼るんですが、「そういう時は、誰か一人にだけ頼ってはダメよ。みんなで計画を立てていきない。今度、みんなで集まって」と子供たちを集めて、いろいろなことを話し合いさせて出かけさしていました。
(藤倉)音楽でも、6歳になって連れていきましたが、私が苦手な演歌以外は、いろいろと行きました。子供が将来、どんな音楽が好きになるか分からないんで、演歌以外はあらゆるジャンルの音楽を聴きにいきました。ジャズも太鼓もいきました。でもそうやって、いろいろいくと、「やっぱりクラシックが一番、落ち着くなぁ」と子供が言ったり。難しいオペラに行くと、分からなかったりするのですけれど、「お母さんも分からないわ。寝てもいいのよ」と。空気を感じることが大事だと思って・・・。
(木下)小学校に入ったりして、よそのご家庭に比べて厳しいとお子さまが抵抗されたことはなかったのでしょうか。
(藤倉)ありましたよ。でも、これは、お母さんの愛の鞭だからって。「愛があるなら鞭でぶたないでって言っていましたが、いじけない子だったので、私もワーッと言えたのです。
(木下)でもお母様の育て方には目配りと愛にあふれていて、いじけたり卑屈になったりはしないであろうなと私は感じます。
勉強についてはいかがでしたか?
(藤倉)何にでも好奇心があるので、勉強もできました。中学に入った時に、将来、イギリスに行くことが分かっていたので、「もう音楽だけすればいい」と思われては困ると思っていました。いろいろな知識があるのは自分のためになると思いましたし、日本での勉強は中学で終わりだから、学校で教えられることが分かれば十分だから、試験は90点以下取らないっていうのが、私との約束でした。
(木下)守れなかった時はないのですか?
(藤倉)ほとんど守っていましたね。
イギリスでも成績がよかったようです。校長先生に直談判して、飛び級させてもらったそうです。
教科書を見ていたら「ここが出るぞ。ここだぞ」って教科書が言うもんって言っていました。

◆親離れ子離れを目指して悔いのない子育てを

(木下)子育て、教育として満点だと思いますが、遠くに行ってしまわれて、お寂しくはないですか?
(藤倉)初めから、自立することを目標に育てたからでしょうか。全く寂しいと感じないのです。本人も、お母さんには悪いけれど、全然ホームシックにならない。自分のことで精一杯だから・・・と。
イギリスでは、つらい時もあったけれど、自分は目標があるから負けられないと思っていたそうです。
 イギリスは旅行者だと「ウエルカム」なのに、どうして、住むと違うのか?なんてことも言っていましたが、「おまえは日本人だけれど、音楽が素晴らしいから仲間だと言われたそうです。音楽があったから乗り越えられたとも言っていました。
(木下)お話をうかがってすべてがつながったような気がしました。どんなに素晴らしい学校やおけいこに通わせても、最後は、教育理念や価値観がしっかりしているご家庭であることが大事であると、感じます。お話しをうかがって、親御さんに勝る教育者はいないと再確認させていただきました。
 最近は「子供の個性を尊重するあまり、無理強いしない、嫌がることはさせない」という風潮ですが、大人も勇気を持って、子供に対峙するという、古きよき時代の子育てのお話をうかがうことができ、とても楽しくあっという間の時間でした。本当にありがとうございました。