(木下)先日は『健常への道』という素晴らしい講演を聞かせていただきました。ジャネット先生の話の中で学んだ一番重要なことは、「決して、決して諦めないこと」、そして、「子供の可能性を信じれば、脳障害を持つ子供でも自分で動けるようになったり読めるようになったり」することが理解できました。そして最大の意義は「両親こそ最良の医師である」ということでした。 グレン・ドーマン博士の著書を拝読すると木下式と類似する点を多々感じます。木下式には、音感教育をするに際し「決して妥協しない」「できないことを子供のせいにしてはいけない」という信念があるからです。だからこそ、父は博士のご本『親こそ最良の医師』を楽院に通うフミくんのお母様に勧めたのです。先生は、三十年前に東京からドーマン博士の研究所を訪ねたフミくんについて、覚えておいでですか?
(ドーマン)フミくんは呼吸が浅く、しっかりしていなかったのです。そのことが脳の成長と発達に大きな影響を及ぼしたと考えられます。脳の主な栄養は酸素です。私たちが最初に会ったときフミくんは二歳でした。しっかり歩けず、転んでばかりいました。話せる単語もわずか数語という程度。 とても決意の固いご両親を持ったことは、フミくんにとって幸いでした。フミくん専用に組んだ家庭で行うべきプログラムは、かなり大変なものでしたが、家族として、フミくんの治療を最優先させたのです。素晴らしいお姉ちゃんたちも、このチームのメンバーでした。フミくん自身もまたしっかりとプログラムに取り組みました。 こうして五歳になったフミくんは、まったく別人のような少年に成長しました。この上なく健康で、身体面もしっかりと強く、ランニングも得意で、バランスや身体の協調も同年齢レベルとなりました。呼吸はほぼ正常の域に達し、話すことは年齢レベルを上回りました。読み書きも、学年レベルを超えました。そしてフミくんは父ドーマンの許しを得て五歳という年齢で、独りでフィラデルフィアまでやってきたのです。初め三カ月の予定でしたが、結局三年間滞在することになりました。 フミくんは、並はずれた人物です。日本に帰って中学と高校を終え、今では素晴らしい家庭を築き、二人の素敵な子供のお父さんです。
(木下)木下式は、私が生まれる際、父が考案したものです。父は私に音感を身につけさせることが音楽を学ぶ上で、そして長い人生を生きる上で、核となると信じたからです。父が音楽家であったから、音楽の基礎教育を考案したのです。もし、ゴルファーならゴルフを、言語学者なら言語を、医者なら解剖図を教えたかもしれません。子供にとって親こそが最良の師であると思います。
(ドーマン)あなたのお父様の考え方は人間能力開発研究所の考え方とまったく同じです。どのような分野であれ、その能力を育むためには、小さな子供たちが、自分はこれができるのだと思えるようにするということが、この上なく重要な意味を持っています。ひとつの分野でそれができれば、同じ熱意と取り組みによって、ほかのどんなことでもできるようになることに気付きます。それは、小さな子供にとって、なんと素晴らしい贈り物でしょう。

親は教育にどう
かかわったらいいか

(木下)木下式はたとえピアノが弾ける親であっても「親が子に教えること」はできません。音感教育を行うためには、学ぶべき技術がたくさんあり、技術的に学ぶことは可能であっても、発達の臨界期を考えると現実的ではないからです。親子が同時期に木下式を始めたら、子供のほうが進歩は速いのです。残念ながら、両親が技術を学び教えられるようになるまで待つ時間はありません。そこで、父は親の代わりに幼稚園の先生を選びました。 幼稚園の先生は、幼児にとって親しみがあり心を許せる相手です。父は、「音楽を教えよう」とする専門家よりも、「子供を教えること」に慣れた幼稚園の先生のほうが、音感教育に適していると考えました。子供を教えることに適した人物ならば、良い音感教育の先生になれるということです。音楽が専門でない幼稚園の先生が教えても、生徒がいつか素晴らしい音楽家になる可能性があるのです。 だからと言って、幼児の発達に親が一切手出ししなくてよいというわけではありません。親御さんには、精神的に我が子を支えていただかなければなりませんし、我が子の可能性を信じていただくことが大事だと思います。我が子の進歩を喜ぶ親御さんがいる子供のほうが順調に進歩していくと感じます。
(ドーマン)これまでの経験のなかで私たちは、子供にとっていちばんの先生は、その子の両親であることに気付きました。子供のことを誰よりもよく知っているのは、その子の両親ですし、誰よりも子供を愛しているのも、その子の親なのです。子供たちも、自分の両親のことは、誰よりもよく知っていますし、ほかのどんな先生よりも、お母さん、お父さんを愛しているのです。このような親子の絆は非常に強く、それが、さらに高度な知識と能力を導き出すのです。ただ、おっしゃるように、両親が子供より早く、あるいは上手にピアノやヴァイオリンを弾けるようにはならないというのは、確かです。 私たちは、ご両親を指導することに多くの時間とエネルギーを使っています。それが、最終的には子供のためになるのです。なぜなら、こうしたことが、家庭でのすべての局面、特に社会性を育てることや、子供の健康と幸せのうえに、大きな効果をもたらすからです。

専門職である母親業に
もっとプライドを

(木下)母親の中には、母性を諦めてしまったかのような人も出てきました。人間の成長は複雑な過程があり、特に最初の三年を大人がきちんと育てなければと感じます。しかし、日本では、我が子を放って自分のことをするお母さんが珍しくなくなってきてしまいました。子供がテレビやビデオの前で座りっぱなしで、母親から隔離された環境にいることもあります。
(ドーマン)まず申し上げたいのは、子供にとって、親は問題ではなく、答えなのだということです。特にお母さんは、子育ての95%を担っているというのが世界各地の現状ですから。専門家はとかく、問題をお母さんのせいにしてしまうという安易な結論を出しがちです。もちろん、怠け者でおかしいお母さんはいます。でも、怠け者でおかしいお母さんは、怠け者でおかしい医師、弁護士、農家よりも数は少ないはずです。 母親であることは、最古の専門職です。それも一日24時間、週に7日、年に52週間、一生続くという、他に類のない仕事です。親である人々のほとんどは、子供たちを愛している、子供には最善のことを望んでいる、子供たちが必要としていると思われるものを与えるためには自らを犠牲にすることもいとわない。私たちは心からそう確信しています。
(木下)最近、お子さんが口をきけるようになるまで、話しかけてこなかったという親に出会いました。お母さんは、口をきかない子供に話しかけたり、会話を聞かせなければ、子供が日本語を習得しないなどとは思いもせず、言葉がけをしなかったと言います。性格的に無口な人であったこともあるのです。 日本では、幼児期に親が話しかけるなど、正しくかかわらずに、テレビやビデオに任せっぱなしにすることで、障害があるような症状を見せる子供が多くいるようです。この子も、最初に出会った時にはまったく笑わず、何を聞いてもどのように答えたらよいか分からずまったく口をききませんでした。しかし、木下式の訓練を通して、言葉に対しても理解が見られるようになっています。 アメリカでもこのようなことはおきているのでしょうか。
(ドーマン)このようなお母さんは、お母さん自身がまだ子供の域を出ていないのです。小さい頃に放りっぱなしにしておかれた人が若くして母親になったとき、私たちはその人に何を期待できるでしょう。 自分の母親や父親、おばあちゃんやおじいちゃんと過ごす時間が少なかった人が、どうやって母親になれるのでしょうか。本当に心配なことです。私たちは、若いお母さんたちに、「母親であることはよいことだ」というだけでなく、「母親であるというのはどういうことなのか」を教えてあげなければなりません。 生活のために外に出て働かねばならないお母さんにぜひお勧めしたいのは、朝の時間帯はしっかりと赤ちゃんと自分のものにすることです。午前中は赤ちゃんを誰かにあずけ、外に出る仕事は朝のうちに済ませようというお母さんは多いです。でも、朝の時間は赤ちゃんにとって「ゴールデンタイム」です。赤ちゃんが元気で、いちばん多くを学ぶことのできる時間なのです。午前中に外に出たお母さんが、午後帰ってくると、赤ちゃんは眠くて機嫌が悪く、お昼寝をさせなければならない時間です。どうしても外に出なければならないなら、それは午後にして、午前中は子供と一緒に過ごすように、私たちは勧めています。

やっていることは
特別なことではなく
ごく当たり前のこと

(木下)お父上のドーマン博士は、脳障害児の研究において長く挑戦を続けていらっしゃいます。きっと、たくさんの試練や困難があったことと思います。お父上のご苦労などを教えていただけますか。
(ドーマン)
たしかに平坦な道ではありませんでした。今でもそれは変わらず、長い道のりは、ときには苦しいこともあります。それでも、研究所にやってくるお母さんやお父さんや子供たちと過ごす素晴らしい日々と比べたら、こうした困難は取るに足りないものです。父グレン・ドーマンはそう言っています。私たちは、今までずっと、自分たちは世界一幸運な人間だと思ってきました。今でもそうです。なぜなら私たちは毎日やりたいことだけをやって過ごしているからです。真のヒーローである脳障害児と、その並はずれたご両親と手を取り合って歩み続けるという、特別の経験をさせてもらっているからです。 この人たちから教わったたくさんのことを、私たちは、健常な子供たちの人生をよりよいものにするために役立てています。人間能力開発研究所は今56歳になりました。その間に、私たちに冷笑を浴びせた人々や、古生物のような人々の多くは姿を消し、道端に倒れていきました。 私たちが半世紀にわたって提唱してきた脳の成長と発達の原理は、今や現代の研究によって裏付けられることとなりました。新しい世代の科学者の間では、新たな発見も続いています。私たちのやってきたことが、やっと、新しい研究によって実証されることとなりました。これまで生きてきた甲斐がありました。赤ちゃんが生まれた途端に、母親から陣痛の苦しさと痛さが薄れていくような経験です。
(木下)幼児期に特別な教育を与えることによって、子供が生意気になり、早期教育の弊害を心配する声もありますが、ドーマン・プログラムを学ぶ子供たちはいかがでしょうか。
(ドーマン)「特別な教育」がどういう意味なのか、私は知りません。言葉の使い方が間違っているのではないでしょうか。 私たちが行っていることには、何も「特別」なことはありません。誰にでもできることばかりです。学歴がなくても、お金がなくても、図書館から「赤ちゃんに読みをどう教えるか」の本を借りて読み、数千円を投じて白い厚紙と赤いマジックマーカーを買い、一日に15分ほど使って教材を作り、一日に5分に満たない時間を使って子供に教え、子供が読めるようになったなら、この子の人生を完全によい方向に変えることができるのです。 自分の赤ちゃんにどうやって読むことを教えるかについて、私たちは四十年以上にわたって、お母さんたちを指導してきましたが、その結果、早いうちに読むことを学んだ子供たちは、より自信のある、よりしっかりした、より社交的で、より知識のある子供になり、学校でもうまくやっていける率が高く、学校を楽しむことができ、学ぶことを楽しみ、人生を楽しむことができる子供になっていることに気付きました。 能力のある子供たちは、明るく幸せな子供たちで、大人たちをも幸せな気持ちにします。そうなって当然なのです。ご両親からも、教えることによって自分の子供への理解が深まった、子供への尊敬の念が高まった、よりよいコミュニケーションが取れるようになったなどの報告が届いています。そして、子供に読みを教えることは、人生で経験してきた何よりも深みのある、得るものの多いことだった、とご両親は言っています。

教えることを否定する
幼児教育機関もある 

(木下)幼児教育を実践していると、学ぶためには幼いほど効果が高いと実感できます。しかし日本では、就学前の幼児期に学ばせることに抵抗を示す教育関係者が多いのです。先生はどのように思われますか。
(ドーマン)ほとんどの国では、教育は六歳で始まりますが、学習は生まれたとき、あるいはそれ以前に始まっているのです。生まれてきた赤ちゃんは、誕生の瞬間から最大限の刺激とチャンスとを持つべきなのです。 人生最初の六年間はとても重要な時期です。一般に教育者は、脳の成長と発達についての教育を受けていませんから、生まれてからの大切な時期が見過ごされ、そのために子供たちのはかり知れないチャンスが失われてしまうのです。 小さな子供たちはとても賢いですから、より高いレベルの教材を次々と速いスピードで与えてほしいのです。そうしなければ、子供たちは大人に背を向けることになるでしょう。 ある意味ではこれは単純な考え方で、十分に理解され一貫して適用されるならば、教え方の全体像を一変させることができるはずですが、実はほとんど理解されていないのが実情です。 そのために、すでにすたれていていいはずの古くさい考え方が、何十年も生き残っていくのです。素晴らしい子供たちの行く手を阻むこのような古い考え方が、私たちが生きている間に姿を消すことを願いましょう。
(木下)木下式では規律ある訓練によって、賢い子供を育てています。幼児に物を学ばせるに当たって、躾やルールは不可欠です。厳しい訓練を受けていても、子供たちは自由です。しかし、学ぶべき時に学ぶ、集中すべき時に集中することを教えているに過ぎません。木下式では、日本では失われつつある先生と生徒の関係を維持しているともいえます。アメリカでは、子供を嫌な気持ちにさせずにのびのびと教育することが主流でしょうか? 従来の生徒が先生を尊敬して物を学ぶという姿勢は失われてしまったのでしょうか?
(ドーマン)残念ながらアメリカでは、「教える」ことは、好ましくないことだと考えられているようです。プリスクール(保育園、幼稚園)の小さな子供たちは、積み木、クレヨン、砂場、コスチュームなど、さまざまな「物」を与えられており、先生たちは、子供というのは「物」で遊ぶことによってのみ学ぶのだ、と教えられています。 プリスクールには、一日のうちで、先生が子供に直接教えてもよい時間は20分だけ、というところもたくさんあります。私はプリスクールの教室をたくさん見学しましたが、子供たちは先生と一緒に過ごす20分の「お集まりの時間」が終わっても、そこを離れません。20分が終わったら「お遊びコーナー」に行って、放っておかれるのが嫌なのです。これは、先生が怠け者だからでもないし、やさしくないからでもなく、先生は子供の「お遊び」の邪魔をしてはいけないと、州によっては、法律で決められているからなのです。とんでもないことです。一握りの人々が「学習」と「お遊び」の定義を書き替えてしまったのです。小さな子供たちにとっては、災難です。 私たちの研究所の話に戻りましょう。 ご両親は子供たちを愛しています。子供たちもお母さん、お父さんが大好きです。私たちは、親にも子にも、愛について教える必要はありません。私たちが、教えることと学ぶことの組み合わせのなかで、これは絶対に必要、と強く感じているのは、尊敬の気持ちです。愛に尊敬が加わったら、愛の力はさらに強くなりますし、より大きな効果を生み出します。 教える側が敬意をもって教え、それに対して敬意が返ってくるというのが「従来の」かたちであるならば、この「従来の、生徒が先生を尊敬して物を学ぶという姿勢は失われてしまったのでしょうか」という質問への私の答は100%イエス、です。私たちは、運動面や知性面のプログラムにかけるのと同じだけの時間とエネルギーを、社会的な成長のプログラムにも費やしています。お母さんたちが、子供たちを社会的にしっかりした教養のある人間にしなければいけないという点に関しては、一歩も譲りません。

パイオニア同士が団結し
より良い世界を……

(木下) ドーマン・プログラムでは、「生きる基本は動く」ことですが、木下式は「力強い声を出させること」にあります。力強い声を出させることが話声位*を高め、鋭い聴感覚と歌唱力を育てています。これが聴覚を刺激するのです。講演の中で、脳は使うことで成長していくと話されました。木下式は力強い声を出すことで、聴覚を刺激し、音感かるたで視覚認識を刺激しているのです。木下式の訓練は、幼児期の適時に好ましい成長を促す教育です。しかし、適時教育の重要性を知らず、我が子の可能性を引き出すことをしない親御さんが多いのが現状です。幼児期の発達が、その人の将来、夢や希望の達成を左右するに違いないと思うのです。
(ドーマン) これは子供たちを救う道であり、こう言ってくださったことに、私はとても感動しています。生まれてくる子供たちはみな、レオナルド・ダ・ ヴィンチが一生かかって使った知性を上回る知性を持つ可能性を秘めているということ、そして親は最高の教師であるということを、あらゆるお母さん、お父さんに伝えていくことは、私たちの務めだと思っています。 本当に大切な部分で、私たちの思いは100%一致しています。真のパイオニアは、めったにいるものではありません。歴史を振り返ると、耳を傾けてくれる人もなく、正しく評価されることもなく、素晴らしい考えでも路傍に倒れてしまったパイオニアがたくさんいます。パイオニアは団結しなければいけません。独りだけの存在はもろいのです。パイオニアたちが団結したなら、新しい、優れた考えは命を永らえ、世界を救う力となり、より良い世界ができていくことでしょう。
(木下) 多民族国家であるアメリカでは、文化の違いや個々の宗教観を認め合って暮らすことはとても重要なことです。それが教育にも表れているのかもしれません。私たち日本人は日本人本来の価値基準を置き去りにしたまま、長きにわたってアメリカに憧れ、個性尊重と子供に勝手気ままを許すことを履き違え、かつて日本が誇った教育のあり方を失いつつあります。しかし自由の国、アメリカにあっても批判に負けずに、信じる道を進む方に出会うことができ、たいへん心強く思います。ありがとうございました。